不登校になってしまった子供の気持ち。親はどう対応したらいいのか。

不登校になってしまった子供の気持ち。親はどう対応したらいいのか。

どうも、カネスズです。

最近ですが、現在(2017年)の不登校になってしまった小中学生の数は10万人を超えているというニュースを見ました。

割合で言えば、クラスに1人は不登校を経験したことがある(している)と言うことになります。

このニュースを見て私は「私の不登校時代」を思い出しました。

私は小学校3年生の夏ごろから、中学を卒業するまでの6年間不登校でした。

不登校と言っても、本当に学校へ行かなかったのは最初の1年と半年の間だけで、その後は学校の相談室、と言う教室とは別室で給食だけは食べて、少し勉強して帰るという生活を送っていました。

なので、本当の意味での不登校と言うには少し違うのかもしれません。

当時の6年間は本当に辛い時期でしたが、今思えば私よりも両親の方が辛い6年間だったはずです。この記事を今見ている方も、こどものことを思って何か手は無いかと調べているのだと思います。

その思いが強いからこそ、思いつめ悩み苦しんでいるのだと思います。

今回は、そんな方々へのアドバイス……をすることはできません。私はカウンセラーではないですし、心理士でもありません。ただ、不登校を経験したことがある、一般人です。

私が言えるのは、当時の気持ちだけ。当時は何を思い、何を親に求めていたのか。もちろんその求めていたことが、不登校を脱することにつながるのかは分かりません。

しかし、悩みを抱えているこども・親の何かヒントになるかもしれません。

そのため、この場を借りて当時、不登校だった際の気持ちを書いていきたい思います。

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私が不登校になった原因

こどもが不登校になってしまう原因は、本当に様々だと思います。

いじめや病気、怪我、家族内でのトラブル、原因がまったく分からないということもあるでしょう。当時は私も不登校になってしまった原因が分かりませんでした。そのため、両親や教師の方もどうすればいいか分からず、困らせてしまいました。

しかし、今思えば「あれが原因だな……」と言うことが1つ思い浮かびます。

教師に怒られたことです。

ここでは詳しくは書きませんが、当時多くのクラスメイトがいる中で、とても怒られました。その際私は泣いてしまい、クラスのみんなが楽しみにしていた体育の授業が中止になり、少しの間友達からそのことを言われるようになりました。

このことが、私が不登校になった原因……なのではないかと思っています。

思う……と言う言葉が多く出てきてしまい申し訳ないのですが、今から10年以上前のことなので記憶があいまいな部分がとても多いです。ご了承ください。

不登校になった直後の気持ち

不登校になった直後、私の気持ちは大きく分けて2つありました。

  1. 学校に行かなくても良いという安心感。
  2. 学校に行かなくても大丈夫なのかと言う不安感。

気持ちの割合としては五分五分位だったと思います。

学校に行きたくないから行かないにも関わらず、行かないことに不安を覚えるという悪循環がこの時始まっていたのでしょう。

不登校と言うのは、その期間が空けば空くほど学校に行きづらくなるものです。この段階で何か手を打てることがベストなのでしょうが、無理にでも学校に行かせ

何事もなく元通り行けるようになる可能性。はたまた更に心に傷を負ってしまう可能性。

今は休ませようと思い休ませた結果

元気を取り戻し、再び学校へ通いだす可能性。そのまま不登校が長引いてしまう可能性。

この部分で、本当に悩んでしまうでしょう。

私の両親の場合は、後者を選んでくれました。学校に行くことを気にしつつも強要はしない。見守ってくれていました。

結果論ですが、この両親の選択は正しかったのだと思います。

確かに6年間不登校ではありましたが、その後高校には入学し、専門学校を経て社会人として働いています。私を信じて待ってくれた両親には本当に感謝です。

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不登校になってから1年半後の気持ち

1年半後、つまり私が不登校ながらも学校の相談室に通い始めたころです。

学校へ行かなくていい安心感よりも、行かないことへの不安感大きくなり、少しだけ行ってみようと気持ちが動き出しはじめました。

しかし、当時は異常にクラスメイトの目を気にしていたため、同級生がグラウンドで体育の授業をしているような状況では、学校に近づくことさえできませんでした。

皆が教室で授業を受けている間にこっそり相談室に入り、給食だけ食べてすぐさま帰る。この状況が、私の不登校時代の中で一番長く一番辛い期間でした。

私の両親も、友達と遊べない私のことを考えて色々な場所に連れて行ってくれました。自然の多い公園や山、陶芸体験、温泉などこれらのことが当時の私の心に安らぎを与えてくれていたのかもしれません。

また、この時に我が家の救世主となる猫「にゃんこ」が訪れたのですが、それはまた別の機会に。

不登校になってから3年半後の気持ち

3年半後、私が中学生になったころです。

今までは学校に行けなくても、当時の友達とは少し遊ぶことがありました。しかし、中学に上がり新しい友達ができ始めたのか、このころから友達と遊ぶことがぱったりなくなりました。

気持ちとしても「このままではどうなってしまうのだろう」と言う不安がどんどん膨れ上がり、とても焦っていたように思えます。

中学校に上がったことで先生方も変わってしまいどうなるのか不安でしたが、当時先生方・両親が連携して私のことを話し合ってくれていたようです。そのため、入学初日から中学の相談室で担当の方と話をするという形をとっていました。

不登校になってから5年半後の気持ち

中学3年生になったころの気持ちです。ついに高校への進学を考えなければいけない時期です。

当時の私は、今後のことに不安を覚える気持ちがピークに達していたと思います。

しかし、この時担任になってくれた方が、私の救世主となってくれました。(ここではH先生と呼びます)

H先生は、私のために今後のことを真剣に話してくれました。今までは授業を受けなくても、学校に来なくてもよかったが、高校ではそうもいかないこと。学校へ行けるようになり、勉強もある程度はできるようにならないといけないことを、隠さず話してくれたのです。

そして、私のような不登校な生徒でも歓迎してくれる・生きやすい学校を調べ上げ、私に紹介してくれました。

その結果、私の気持ちに↓のようなものが芽生えます。

  • このままじゃ本当に大変なことになる。
  • また、楽しい学校生活を送りたい。

今までは、心のどこかで「どうにかなるだろう」と考えている部分があったのでしょう。しかし、H先生のお陰でその考えを改めさせられました。

そして、私でも行けるような学校を紹介してもらうことで、今まで考えもしなかった「楽しい学校生活」をイメージするようになったのです。

そもそも、当時は

学校 = 不安

と言う考えが支配していました。

しかし、H先生の話を聞く中で、そのイメージに変化が起きたのでしょう。そのころから小学3年生で止まっていた知識を中学生レベルまで上げるために、家に眠っていた漢字ドリルと算数の教科書を掘り出したのは今でもしっかりと覚えています。

H先生との出会いは、人生におけるターニングポイントでした。今まで黒一色だった気持ちに希望の光を見出してくれたのです。

H先生に出会えて本当に良かったです。

不登校になってから6年後の気持ち

中学を卒業し、高校に入学する頃です。正直、不安はかなりありました。

今まで不登校だったのに、これからやっていけるのか心配で心配でしょうがなかったです。これだけであれば、高校に行くことが出来ずにいたでしょう。

しかし、私の中には「楽しみ」と言う感情もありました。

友達は出来るかな?テストでいい点とれるかな?

まるで小学生みたいですが、心は本当に小学生のままだったのかもしれません。

このころから、変わろうということも意識するようになり、なぜか趣味でランニングを始めたり買い物を手伝うようになりました。当時の私は色々と考えていたみたいですね。
ちなみに今でもランニングは続けています。

おわりに

私が不登校になってからの6年間は、本当に色々なことがありました。

今の自分があるのは、H先生との出会いと言うのもありますが、両親があの手この手で私のために動いてくれたことが大きいのだと思います。本当にいくら感謝してもしきれないです。

この記事を書いていて改めて思うのは「光を持つこと」だと思います。

不登校になると、気持ちがどんどん悪い方向に偏ってしまい沈んで行ってしまいます。しかし、そこに希望が見いだせれば、私の不登校になってから5年半後のように、気持ちが変わるのではないかと思います。

最後に、これは私が言うのもおかしな話ですがこどもを愛してあげてください。

不登校になってしまったこどもは、両親だけが頼りなのです。決して突き放すようなことはしないでください。

そして、諦めないでください。

私は、不登校になっても人生が終わることはないと断言できます。なぜなら、私が今こうしているからです。

この記事が、不登校になってしまったこども・親の助けになることが出来れば私は嬉しいです。

それでは今回はこの辺で失礼します。

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